いつわり

 

「人」の「為」と書いて

「偽」とよむ

だから、人の為、誰かの為にと主張している人は

偽善者だ

 

そのことを覚えた時

なるほど と思った

 

偽善者には

なりたくないと思った

 

 

人の為に何かをすることが

偽善で

滑稽に見えるなら

 

人の為に何かするのは

間違いだと覚えてきた

 

 

 

そして

「偽善者」に見える人のことを

蔑んだ

あれは「うそ」だと

 

 

 

だけど、

始まりは偽善でもいいんじゃないのかな

うそから始まっても

思い遣りの気持ちがあればいいと思う 

 

始めから「真実」かどうかなんて知らない

「真実」かどうかは誰も決められない

 

 

 

誰の目にどう映るかが問題ではなくて

誰の目にどう映るかを気にして

自分の眼に何も映らなくなることの方が怖い

何も始まらないことの方が怖い

 

自分のこころを偽ることの方が うそ なんだ 

 

 

 

 

自分が覚えてきた「正義」を疑いたくなった