はりきり過ぎたダン・シャーリー

 

朝、お弁当箱を探していたら

ない

 

そうだ、そうだった

私の中のダン・シャーリーさんが

年末の大掃除の時にはりきり過ぎちゃって・・・・

サヨナラしたのだった

 

 

何だか少しさみしかった

喪失感が残った

 

 

娘の離乳食を保存する容器を

お弁当箱として使っていたけど

フタも変形してだいぶくたびれていた

もう使わないかなと思ったけど

何も捨ててしまわなくても良かったのかも

 

もう使わないかもしれないけど

あってもいいものってあると思った

 

 

 

その時ダン・シャーリーは、

食器を新しいもので揃えるということをしたかった

少しでもスペースを広くしたかった

 

もう使わない、古いものは、、、

そう思っていた

 

 

 

 

モノでも、

建物でも、

空間でも、

街路樹でも、

音楽でも、

言葉でも、

デザインでも、

考え方でも、

価値観でも、

無くしてしまうことはできる

 

だけど

他のものと揃えてしまおうとするのはちょっと違う

他のものと似せる事は全く意味がないし、

ニセモノをたくさん創る必要がどこにある?

 

 

 

無くならないと価値がわからないことってあるし、

無くしてしまってからでは遅いこともある

 

 

無くしてしまうにしても

お別れするいのちをもう一度味わう

エネルギーを感じてみようとする

 

 

いのちを味わった人が

いのちをつないでいけるのだと思う