はい、はい、そのパターンね。

 

 

はい、はい、もう分かりました。

分かっちゃいました。

 

 

なんてかわいくない。

 

 

 

 

最後までやってみないと

わからないことだってあるはずなのに

もう分かった気になっている

 

 

なんてもったいない。

 

 

 

最近は、スマホ

私もそう、スマホに依存している

 

ほとんどの事をスマホ

なんとかしてくれる

 

 

 

 

スマホがあれば

知りたい情報がすぐに分かる

真実かどうかは別として

 

すぐに誰かとつながる

つながった気になる

 

退屈でつまらないときも

それを無いものにしてしまうのは

スマホの得意技

 

持て余している時間だって

たちまち無くなってしまう

 

 

 

スマホがあれば

なんとかしてくれる

 

なんとかしてくれてるけど

解決してくれてるとは限らない

 

 

調べて、すぐに答えが返ってきて

知ったつもりになる

 

知ったつもり

真実かどうか疑う事もなく

分かったつもりになっているけど

それに気づかない

 

だこら、

あ、そのパターンね

もうそれ知ってるし

ってなる

 

本当に知るという事を知っていたら

そうは言わないだろうなぁ

 

 

知るは体験してはじめて

知ると言えると思う

そして体験は

自分のシアワセに直結している

 

 

 

スマホは知るためのほんの入り口

 


手のひらの上だけの体験で満足してしまう事は

自分の世界を狭くしているかもしれない

という事は覚えておいた方がいい

 

 

 

 

中学2年生の息子が、

はい、はい、そのパターンね

でた、またこれだ

って言ったのを聞いてそう思いました

 

 

 

 

 

スマホは使うもの

 

だけど、いつの間にか

立場が逆転してしまう

主導権を握られてしまう

 

それでも気づかず

その間に無くなってしまっているものにも

気づかない

 

何となくそれが とても悔しい

 

 

スマホをもっと

シアワセになるために使いたい