私のカケラ

 

恥ずかしい話ですが

この頃

子どもたちの兄妹喧嘩が絶えない

 

 

お互いがお互いの事が

気になって仕方がないようだ

 

正論が飛び交っている

 

 

だんだん成長と共に

 

そうあるべきとか

こうでなければならない

という

あるべき姿が定着してきている

 

 

それはそれでいいのだけど

それはそれで

自分に自信が持てているのだろうからいいのだけど

 

何故だか二人のやり取りを聞いていて

胸がキュッとなる

 

 

うるさいとか

ちゃんとしてとか

もっと考えてとか

 

毎日そんな言葉が飛び交っている

 

寝るその瞬間まで。

 

 

 

娘に対しては

もっとやさしく言えばいいのにと思う

 

息子に対しては

そんな細かいことそんな何回も言わなくていいのに

とそう思う

 

 

何で恥ずかしい話なのかというと

二人が見せている現実は

私に対するメッセージだから

 

 

 

二人は私のカケラを見て育った

二人を動かしているのは私のカケラ

 

覚えたとおりのことしか出来ない

 

 

 

二人に対するキュッとなる思いは

私のカケラに対する誰かの想いでもある

 

みんな

少しずつ誰かのカケラを原動力にしている

少しずつ誰かのカケラが言動になっている

 

 

確かに思い当たる事が、、、。

 

 

自分の正しさを証明する事に終始しなくていい

それは何の意味も持たないし

それを受け取ってもうれしくないしね

 

 

 

美しい言葉を使おう

ゆとりを心がけてみよう

より良くなる事を一番に考えてみよう

 

 

 

 

私がその事にちゃんと気がつくまで

二人の兄妹喧嘩は続くんだろうな

 

そう思っている