バスケの試合を思い出した

 

上手くいかない時

私ではないのかも知れないと思う

 

必要とされているのは

私ではない誰かなのかも知れないと思う

後から後からネガティヴワードが溢れてきてしまう

 

 

そんな時はへーって

そんなこと思ってんのって

ネガティヴにエネルギーを与えないようにするけど、

 

もしかしたら

ちょっとこだわってもいいのかも知れない

もしかしたら

今までの殻から出られるチャンスかも知れない

私が私になれるチャンスなのかも知れない

 

 

 

 

 

私は必要とされていないの主語は

自分以外の誰か。

誰かの視点で考えるのではなく、

 

私はそれを必要としている?

私はその役割?

他に得意な人がいない?

上手くいく道は他にない?

自分の視点に戻る

自分の声を聞く

ネガティヴでも何でも浮かんだ言葉を書いてみる

 

 

 

自分を少し離れた遠くから見て

自分のポジションや役割が見えてきたら

ちょっとおもしろい。

 

バスケの試合みたいに、

みんなで同じボールを追いかけても、

みんな同じように疲れてしまう

少し離れて見て

ここ!というポジションで出来ることをする

 

 

それを逃げるととると苦しい

逃げるに良いイメージがないなら

逃げると思うと苦しい

 

逃げてもいいのかも

逃げられる自分になってみる

笑いながら逃げてみても(^_−)−☆

 

選んだと考えたらどうだろう

自分で選んでやってみた

 

根性がないも

切り替えが早いって置き換えてみたらどうだろう

 

 

言い換えたり置き換えたら

次はそのことにエネルギーを持たせてみる

 

逃げる

自分で選ぶ

サッと切り替えができる

これもできるけど、こんなこともできる

そんな生き方にエネルギーをシフトしよう

 

 

ネガティヴワードの渦に巻き込まれているより

ちょっとあたたかくなる

ちょっと明るくなる

ちょっと軽くなって

前に進みたくなる

 

 

 

自分の声を聞きながら

エネルギーを操ってみよう

 

そのうち、

憧れていたポジションにいるかも知れない