記憶

 

今日という日まで

あこうという魚を知りもしない

 

鮭の白子の天ぷらなんて

食べたことがない

 

 

 

お店でご飯を食べたら

そのお代を払います

 

 

ありがとうございます

またお願いします

とお店の人がいいます

 

それが普通です

 

 

 

 

だけど

 

お金を払う人が

ありがとうと言うのが

当たり前になったら

おもしろいと思います

 

 

 

 

旬のおいしいものを食べて

新しい本にワクワクして

しびれる音楽に浸って

心を奪われる絵画に出会って

お笑いのライブでゲラゲラ笑って

映画でドキドキして

すてきな食器にときめいて

 

 

 

日常では有り得ないことに触れることが

自分でやるより

簡単にできる

それは

よく考えたら

すごいことです

 

 

 

 

有り得ない出会いを

代金を支払うと味わえるのだから

 

 

お金を払う時は

ありがとう

 

お金を払う方が

ありがとう

 

 

 

どうやらお金は

そうやって手放す人が好きで

そんな人のもとに戻ってくるようです

 

 

 

 

 

 

 

もしも

記憶する能力が

お金にもあるとしたら

 

 

 

記憶が

人間だけのものでないとしたら

 

 

 

 

そうなのかもしれないと思いました

 

 

 

 

 

 

 

 

価値観の創意工夫

 

あの人は弱虫がいいの。

 

映画 ハウルの動く城

主人公のソフィーが言った言葉

 

 

 

 

ソフィーを守るために戦いをやめないハウル

ハウルが傷つくのを見たくないソフィー

 

 

お互いを思っているのに

お互いの価値観がすれ違っている

大事にしている信念が同じではない

 

 

映画ではハッピーエンドになったから

良かったのだけど

 

 

 

信念や価値観の衝突は

この時

この場を

離れないと

泥沼にはまったりする

 

 

 

信念や価値観は

それぞれの経験に裏打ちされた

それぞれにとっては

とても大切なもの

 

 

やっと見つけた答えだったり

今まで支えてきたお守りだったり

自分を動かす原動力になっていたりする

 

 

だから簡単に手放せるものでも

変えられるものでもないけど

 

違う価値観と出会えた時

自分の価値観が深い意味を持つものになったら

いい

 

 

 

信念や価値観が衝突したら

一度そこから離れてみたらどうだろう

 

 

離れてみる方法はいろいろある

 

鳥の目になって俯瞰して

少し離れたところから

二人を眺めてみるとか

 

 

その価値観と出会った時まで遡って

今の自分が

そこから生き直してみるとか

 

 

10年先まで行けたとして

10年先を見てきたとして

10年後から今を見たりとか

 

 

 

時間や空間を行き来して

果たしてその時

信念や価値観はどうだろう

 

 

 

 

 

今と同じかもしれない

今と少し違うかもしれない

全く違う価値観が見えてくるかもしれない

 

 

 

 

信念や価値観は

もっと自由であっていい

 

 

 

 

 

ハウルの動く城

魔力でお城を守ったり

動かしたりしていた火の悪魔カルシファー

 

カルシファーが暖炉の束縛から

自由になっても大丈夫だったように

 

 

信念や価値観も

もっと自由であってもいいと思う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カルシファーもいいけど

私はマルクルが好きと娘が言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しあわせを願う人

 

スーパーに買い物に行くと

時々困った子どもを見かける

 

駄々をこねて親を困らせる光景は

今も昔も変わらない

 

 

子どもは本気だ

親に体当たりだ

 

 

 

大人から見たら困った子

 

 

だけど

子どもから見たら

困ったのは大人の方で

 

 

いつになったら

本気になってくれるのかと待っている

 

いつになったら

大人は愛情を発動させるのかと

 

 

 

いつまでも周りの人の目を気にして

いつも周りの評価を気にして

失敗のない育児をしようとして

人様に迷惑をかけない子どもにしようとして

子どもはある意味自分の作品で

 

 

 

だけど

子どもは全部わかっている

 

 

今までとは違う見方

今までとは違う探し方をしないと

愛はみつからないことも

 

しあわせは今まで思っていたのとは

違うところにあることも

 

 

 

親がしあわせを見つける

そのことに子どもはいつも忠実だ

 

 

 

 

子どもに何か悪いことが起きたら

私のせいでと

自分を責める親もいるけど

 

 

 

子どもは

全部わかっていて

親の本気度を

愛を思い出すことを

腹をくくることを

 

全身で訴えている

 

ちゃんと自分の仕事をしている

 

 

 

 

 

力の限り訴えている子を見ると

私にはそう見えるのだけど違うやろか

 

 

一緒にしあわせを探したいと願っている

と思えるのだけど違うやろか

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つもり

 

ちょっと前は

 

娘が4才上の兄に対して

やる事なす事目についたようで

文句を言ってケンカになることがあった

 

 

 

この頃は

息子が妹に対して

片付けてとか

返事してとか

お風呂に入ってとか

言うことがある

 

 

 

今やろうと思ってた!

やろうと思ってたのに

言うからやる気失くした‼︎

 

という始末

 

 

 

 

 

 

やろうかなぁとか

やらなあかんかなぁと思っている時に

誰かに言われると

面白くない

 

 

やろうと思っていたのに

あとちょっとだったのに

 

 

自分のつもりが何だったのか

わからなくなる

 

つもりがわからなくなって

腹が立つ

 

 

 

 

もう一度

自分がどうするつもりだったか

思い出せたらいい

 

 

 

自分のつもりが何だったかわかっていたら

 

そのつもりだけどって言える

 

そのつもりで

そのタイミングを図っていると

必要以上に腹を立てなくてもいい

 

そのつもりだけど

できなくて困っている

という相談もできるかもしれない

 

 

 

 

やらなあかんかなぁと

もたもたとしている時に

 

誰かに言われて腹が立つ時は

 

ホントは自分がどういうつもりかを

ちゃんと考えてみるといい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主役は私

 

このモモおいしい♪

と食べています

 

 

それが普通だと思います

 

 

 

 

主役は私の私がモモを食べると

 

 

私、このモモおいしい♪

となります

 

 

 

このモモおいしい♪だと

主役はモモです

 

今まで食べた中で一番おいしい

と主役はモモ。

 

 

 

私、このモモおいしい♪だと

モモをおいしいと感じる私が主役になります

 

モモをおいしく食べている私が

おいしいモモと出会ったことに

よろこびを感じています

 

 

 

主役はだれ

主役は何

 

 

 

よく主役の座を奪われます

 

この前も

誰かがそう言ったから

私がそうした

 

そんな出来事がありました

 

 

あの人があんな事さえ言わなければ

今ごろ私は笑っていたと

腹が立った出来事でした

 

 

その人の言葉は

ただのきっかけ

 

 

そうすると決めたのは私

 

 

別の道もあったのに

 

誰かの評価を気にした私が決めた

 

 

 

悔しくて涙が溢れました

 

 

それでやっと

主役の座を自分から手放していると

気づきました

 

 

 

 

もうこんなのは嫌だよ

ともう一人の私が言いました

 

 

 

 

 

ちゃんと主役をやって!と

 

 

 

 

 

 

 

 

モモを食べている時も

誰かの言葉を気にしている時も

愛されている時も

 

いつも主役は私

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食べても無くならない

 

誰かから貰ったお菓子があったとして

 

そのお菓子はとてもおいしそうで

 

 

そのお菓子を食べるのを

 

とても楽しみにしていて

 

 

 

食べると無くなってしまうから

 

 

 

ずっと食べずに残しておいて

 

いつの間にか

 

おいしく食べられる賞味期限が切れたりして

 

 

 

 

 

食べたら無くなる

 

今度はいつ食べられるか分からない

 

と考えながら食べたりするから

 

あまり味を覚えていない

 

 

酷い時は

あれ、いつ食べたっけってなる

 

 

 

なんて残念な、、、。

 

 

 

 

食べたら私と一つになって

私を幸せにしてくれてるのに

 

 

 

 

食べても無くならないものがある

ということを知らないから

 

 

 

無くなったさみしさしか残らない

 

 

ここそこによろこびのタネはあるのに

 

無くなってもうおしまい

と思っている

 

 

 

 

 

夏の日

 

8月に戦争が終わった

 

 

私には3つのちが流れている

 

1つは親からもらった血(命)

1つは生まれた時から覚えてきた知(知識)

1つは環境、地(地域、国、地球)

 

3つのちで私はできている

 

 

 

 

何とも言えない喪失感が

この時節にはある

 

日焼けの後のほてりと共に

 

 

 

 

夏の終わりを感じるからだろうか

 

この土地の記憶が流れているからだろうか

 

 

 

戦争が終わって全てを失った日から

1週間

 

 

下を向いていた人々が

もう一度生きようとした

 

 

 

 

 

 

 

 

道端で飛ぶ力を無くした蝉が

羽をばたつかせている

透明な羽が太陽に輝いて美しい

 

 

 

アサガオの観察日記を始めたのも

こんな夏の日

 

 

 

 

 

 

 

 

カオスな時間

 

ざわざわとこころが落ち着かない

 

ざわざわとしていて

 

現す言葉もない

 

 

 

ふと

曲が聴きたくなった

 

ギター一本で歌う

やさしい歌

 

 

行くことも

戻ることも

留まることも

できる

 

どうだってできるけど

どうしていいのか

どうしたいのか

 

閉まりかけたドアを見ても

決められない

 

 

 

決められないままたたずんで

変わらないことを選ぶ

 

 

 

日常の雑踏に

自分の想いも聴こえない

 

 

 

 

どこから来て

どこへ向かう

 

 

 

みんな何をしあわせとして

いるのだろうか

 

 

 

 

 

 

駅のホームを歌った歌

 

 

 

 

 

 

ざわざわとしたこころに

やさしいギターの音が沁みた

 

 

 

 

 

 

うろうろと思うこと

 

有漏有漏と書いて

うろうろ

 

 

煩悩が邪魔をして

先に進まない様子

 

 

有漏の反対は無漏

 

無漏を調べると

悟りが開け迷いや欲望がなくなったこと

とあった

 

 

 

そう考えると

有漏は悪くて

無漏が良い

みたいだけど

そんなこと言われても

人ってそう簡単にそうなれない

 

 

 

 

 

漏れるものが有ると書いて

有漏

 

 

自分から漏れてくるものを

受け止める

認めてみる

 

 

押し殺している感情も

漏れてきたら認めたらいい

 

 

よろこびも素直に受け止める

 

 

やりたい事はやってみる

やりたい事に目を背けて

うろうろと迷っていては

無漏にはならない

 

 

無くそうとしても無くならないものは

昇華させたらいい

 

 

 

 

 

でも誰かに対して言いたい事って

なかなか無くならない

 

誰かにどうにかして欲しい事は

しぶとく残る

 

 

だけど

自分に関係のない

感情はやってこない

 

今の自分にとって大切だから

やってきている

 

 

誰かに対して抱いた言葉は

そっくりそのまま自分に当てはまる

 

 

よく見ると

人に対して不満を訴えている人と

訴えられている人は

似てるなぁと思う事がある

 

 

 

例えば子どもに対して

〇〇ちゃん、静かにして

と思えば

誰かも自分にそんな思いを抱いている

〇〇ちゃんを自分の名前に置き換えるとよく分かる

 

そう言えば、、、

子どもをほったらかしておしゃべりに夢中になってた

とか

何か思いつく事があったりする

 

 

漏れてきた感情は

自分と無関係ではない

 

 

そうやってうろうろと

自分から漏れた感情は

なるほどと思えば消えたりする

 

 

 

うろうろと迷ってきたけど

自分について分かろうとしている

変われるタイミングにいる 

 

 

 

 

大切なのは

無漏路は

有漏路を通らなければ辿りつけない

ということ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

慌てない、慌てない。

 

有漏路より無漏路へ帰る一休み

 

 

旅先で出会った

一休さんの言葉

 

 

気になって調べた

 

 

 

 

有漏路は迷いの世界

想像力豊かな

不安でいっぱいの世界

 

うろうろするは

有漏有漏すると書く

 

うろうろと迷って

何もできずにいること

 

 

 

まだ起きてもいないことを心配したり

 

誰かの気持ちを勝手に想像して怯えたり

 

また同じことが起きたらと怖れたり

 

そのうち飽きられるんじゃないかと不安になったり

 

 

 

空想の世界にいて

こころは疲れている

 

疲れていることもわからず

突っ走っている

 

 

 

 

無漏路へ帰るは

疲れたこころを無にして

一休みしようということかな

 

 

 

 

不安なことは考えないようにしても

やっぱり出てくる

 

見ないようにすればするほど

出てくる

 

無視をすれば

いじける

 

 

だから

あっさり認めてしまったらいい

どう思っても

そう思っているんだなと

認めると

案外すっと無くなる

 

 

すっと無くして、一休み

 

一休みしたら

そこからできることをやればいい

 

 

 

未来を先読みして

慌てない、慌てない。

一休み、一休み。

 

 

 

 

有漏路より無漏路へ帰る一休み

 

その続きは

 

雨ふらば降れ

風ふかば吹け

 

 

 

どんな自分でも慌てない

どんな自分にも怯まない

それがやがて世界とつなげてくれる

 

 

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